| Y.M(Mouri)様へのレス
Y.M(Mouri)様が書き込みされていた、国鉄時代末期の頃の紀勢線に関して蛇足ながら、補足させていただきます。 紀勢西線の客車列車は1984年2月1日のダイヤ改正で、和歌山市⇔新宮の旧型客車で残っていた2往復が12系客車に置き換えられ、また天王寺から出ていた夜行の普通客車列車“はやたま”も同じく旧型客車から12系客車に置き換えられました。これに伴い夜行の“はやたま”に連結されていた寝台車(旧型客車オハネ12)も廃止になり、“はやたま”の愛称が消滅しました。 1985年3月14日ダイヤ改正で、485系の転入に伴い気動車急行“きのくに”が特急“くろしお”へ格上げとなり、気動車急行“きのくに”は廃止になりました。 また和歌山市⇔新宮の客車列車も1往復が113系に置き換えられ、日中に走る客車列車は1往復が残るのみとなりました。 1986年3月3日ダイヤ改正で、これまでEF58牽引で残っていた日中1往復と夜行1往復の普通客車列車を、高崎2区から転配されてきたEF60の500番台に置き換えられました。 そして国鉄最後のダイヤ改正である、1986年11月1日のダイヤ改正で、昼夜1往復ずつ残されていた客車列車も全面的な電車への置き換えで、客車列車も廃止となり、同時に紀勢西線及び阪和線で残っていた貨物列車も全廃となり、これにより紀勢西線・阪和線の機関車による定期運用は消滅し、以後の臨時列車の運用は亀山区のDD51による入線に委ねられることとなります。 電車では福知山・山陰線(城崎まで)電化で、日根野の485系全て・113系の一部が福知山へ転出され、代わりに381系・165系が転入されてきました。
Y.M(Mouri)様が1985年夏と1986年夏に「485系くろしお」に乗車され、その時に113系に混じって12系の客車列車も、お目に掛けられたようですが、その牽引機は1985年時点ではEF58が牽引、また1986年時点ではEF60−500番台の牽引となりますね。参考になれば幸いです。 私は当時、竜華区の旧型電気機関車の撮影に熱中していた頃であり、紀勢西線にも足を運び、また阪和線は大阪から近いのでミニバイクを足代わりに、杉本町〜浅香、長滝〜新家、山中渓〜紀伊や紀ノ川鉄橋など精力的に撮影に臨んでおりました。ただ、EF58からEF60−500番台に置き換えられてからは、他の線区にも消滅間近の被写体もあってか、興味もそちらに傾き始め、その関係で紀勢線の方は撮影意欲が薄れ、EF60−500番台で撮影したものを思い起してみれば、阪和線内で撮影した貨物列車と南海電車及び泉北高速の甲種輸送、ジョイフルトレイン(サロンカーなにわ・みやび・ユーロライナー・ゆうゆうサロン岡山)が入線した時ぐらいで、当時まさか転入してきて8ヵ月で姿を消すとは思いもよらず、紀勢西線でも撮っておきたかったと後悔しております。
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